ネパールの場合、カトマンズならタメル地区、ポカラならレイクサイドといったエ リアに行けば、欧米人向けの書店・古書店が多く、旅行者向けの本を取り揃えている。 例えば、私が欲しがる写真集や民族音楽のカセットテープといったものも、たいてい 取り揃えられているのだが、如何せん、それらの大半はネパール発行のものではなく、 インドや香港、英国のものであったりして、値段も高い。値段が高いとなると品物選 びも慎重になり、いくら欲しい本でも、不急不用のものならば、たいていの場合は買 うのを諦めてしまうのである。
そして、二度目のネパール探訪は、1994年のことであったがこの時も、迷ってしま って、あまり収穫はなかった。例えば、このヒマラヤの写真集を買おうかと思ったと しても、実は香港発行のものであったり、インド発行のものであったり、値段もそれ なりに高くて、こちらでの一日の生活費をはるかに越えていたりする。その上、郵送 するのも値段は高く、その上、カトマンズの外国郵便専用郵便局まで出向いて、税関 の検査を直接受け、その後は、そこにいる業者に郵送物を袋縫いしてもらって、蝋を 滴らして、封印までしなければならない。業者に特別料金(賄賂?)を払いでもしな い限り、行列に並んだり、書類を書いたりしていると一日仕事となる。前回、手持ち の荷物を送った時には、そんなに厳重に封までしているにもかかわらず、荷物を抜か れたりして、そんな経験から、カトマンズの外国郵便局のお世話にはあまりなりたく ない気がしていたのである。さらにその上、タイのバンコクにて航空券を購入した関 係上、帰りにもバンコクに立ち寄らねばならないことになっていたので、品揃え値段 ともに充実しているバンコクでという気持ちが強かったのである。郵送するにしても、 面倒さは同じでも、バンコクからの方が、値段は安いし、安心度は高いのである。
そういった事情もあって、カトマンズでの古書店探訪は、そんなに熱の入ったもの でもなく、記憶もかなり薄れている。ここで言う古書店というのは、旅行者が売り払 っていった欧米のペーパーバックの小説類やBooks on Nepal & Himalayasといった案 内書、ヒンズー教やヨーガ、チベット仏教の解説書の他、音楽のカセットテープ なども売っており、ちょっとした土産物屋を兼ねている。なかには、日本人旅行者が 売り払っていった日本語の本もあり、格安で売られているのだが、現地の物価を考え るとかなり割高な感じがするのである。なにせ五百円といえば大金である。この他、 ネパールでは、日本でいう金剛界曼荼羅(?)その他の仏画が売られているが、これにつ いては、Tanka shopという専門店が中心である。手書きのものでも五百円くらいから 売られているが、岩絵の具を使って描いたものだと、三千円から五千円以上が相場で ある。安いものを含めて、何枚か購入してきた。最近、京都の近鉄百貨店で、このネ パールの曼荼羅展というのがり、ネパール人絵師が来て、曼荼羅制作の実演や展示即 売があり、一枚十万円近くで売られていたりしていたが、カトマンズ近郊のパタ ンという古都やポカラなどでは、同じような絵師が、曼荼羅を描いており、一見の価 値がある。ただ、現地の商人によれば、日差しの強い店先に曼荼羅をかけておくと、 日焼けして、いかにも古物の風格が出てくるので、そういうのが案外高く売れること もあると笑っていたが、この仏画の完成度を見極めるのは案外難しいのかもしれない。
さて、本題の古書であるが、今、記録をたどってみると、手元には、「The Ragas of Northern Indian Music」という一冊のハードカバーの本がある。詳しくは知らな いが、Alain Danielouというベルリンの研究者によるもので、原著作は1980年、手持 ちの本は、1991年 Second Indian Edition とある。定価は95Rs(ルピー)、売り値は 578Rsとある。インド発行の本なので、定価はインドルピーであり、売り値はネパール ルピーである。それに両国ともインフレが激しく、おそらく、1991年頃のインドルピー は1Rs=日本円で10円程度、これを買った1994年では1RS=5円、ネパールルピーでは1Rs =2円であるから、単純な比較は出来ない。大まかに計算すれば、元の定価と今の売り 値はともに日本円に換算すると千円程度であるので、妥当なところかもしれない。
そして、この本を手にしたのは、カトマンズ、タメル地区の PILGRIMS BOOK HOUSE というほとんど外国人旅行者専用という感じの書店であった。手持ちの地図には載っ ていないが、薄らいだ記憶をたどれば、タメルの中心から少し北へ行ったところにあ る本屋(新刊+古本)兼、土産物屋という感じの、よくあるタイプの中では、かなり 大き目の店である。以前にもここで、絵葉書や音楽テープ、お香や紅茶などを買った ことがあったが、本などもいちいち店員を呼んで持ってきてもらうという形式ではな く、日本のように書架から手に取って自分で選べたと思う。インドにしろ、ネパール にしろ、カウンター越しに、欲しい本を言って、店員に本を出してもらわないと手に 取れないという店もかなりあったように思うが、やはり、こういう店は行っても面白 さが半減するし、挨拶したり、人手を煩わすが、苦手な性格も手伝って、どうも敷居 の高さを感じてしまうのである。
この店はそういう心配もなく、気軽に立ち寄れ、本を物色して堪能することができ るのである。しばらく立ち読みを楽しんでいると、ネパールの清々しい朝には、夜明 けのラーガを聞いてみたい、美しい夕暮れには、残照に照らされたヒマラヤの山々を 見ながら、夕べのラーガを、漆黒の闇夜には真夜中のラーガを……という気分になっ てきて、ラーガについてのしっかりした本とテープが欲しくなり、店員さんに探して もらったのであった。ラーガとはインドの古典音楽であるが、ここネパールもヒンズ ー教文化圏であり、例えば、夜明けのラーガとか、午後のラーガとか、その意味を 確認しながら、一度じっくりと鑑賞したいと思ったのである。そんなことを店の人に 話しながら、何冊かの関連する本とテープを持ってきてもらったが、とても親切で、 造詣の深いおじさんであった。こちらでは、テープを買う場合、たいていの店では試 聴させてくれるが、この店も例外ではない。カセットテープは1巻130ルピー前後(日 本円で300円弱)、本の価格は578ルピー、日本円で千円強の値段がついていたが、音 楽テープとともで1240ルピーとなった。2割ほどまけてくれたようである。値切れば もっと下がったかもしれないが、余りにも人が善さそうな初老の店員さんだったので、 その気もなくなっていたのであった。インドと違って、ネパールではこういう気にさ せられることが不思議と多いが、決してやすい買い物をした訳ではない。
結局、この本をひもときながら、ラーガを聞くことは滅多にないが、この温厚で親 切そうなネパールの本屋さんの印象とともに、思い出の一冊となったである。
96/7/25