何らかの交通機関を利用するにあたっても、タイ語の読み書きが出来なくても、地元の乗り物にすんなりと乗れる雰囲気があるように思われる。特に、市内をくまなく走る市バスには、2〜3バーツ(日本円で10円〜15円)で乗れるので、とても便利である。エアコンバスやトゥクトゥク(オート三輪)、タクシーなどの交通手段もあるが、値段はそれなりに高く、行き先や値段の交渉もあるので、あまり乗る気がしないのである。バンコク市内に限れば、乗り合いバスの系統番号さえ調べておけば、ほぼどこにでも行けるのであるが、問題はとてつもない交通渋滞で、時間的にいらいらさせられるだけでなく、車内はとてつもない熱気に包まれることになるのである。こういう場合、エアコンバスや冷房つきタクシーに乗れば良かったと悔やまれることになるのであるが、10倍から、場合によっては100倍近い料金のことを思えば(といっても、日本円に換算すれば千円程度であるが)、市内バスが一番である。
バンコクは、アジアとヨーロッパ、オセアニアを結ぶ空路の交差点でもあり、多くの欧米人観光客やビジネスマンが街を歩いており、また、バックパーカーと呼ばれる旅人にとっても、インド・ネパールへの単なる通過点としてではなく、バンコクそのものが目的地となっている場合もある。カオサンロードに集まる沢山の安宿や旅行会社、安食堂、それに、大幅に旅人の自由を認めてくれる街の雰囲気、それにまた、ナイトライフに喜びを見つける旅人にとっても、タイ人のおおらかなやさしさは、まさに天使の微笑みに近いものがあると聞く。そういった街が醸しだす芳香が、旅人を引きつけ、さらに、集まった旅人が、新たな芳香を醸しだしているのである。そういったことから、我々日本人にとって、それがバックパーカー的な旅であろうと、観光ツアーであろうと、また、仕事で駐在するにしろ、夜遊び探検隊であろうと、何であれ、意外と居心地が良い場所なのである。タイに<はまる>と言うが、私もはまっている一人かもしれない。
それはともかく、以上のようなことからも十分推測がつくように、バンコクは、書店に関しても、我々日本人が思い描くようなものが多く、外国にいることを忘れさせてくれる気がするのである。それは、日本語の本や雑誌を置いている紀伊國屋書店など日系書店についてはいうまでもなく、各所にあるD.K.BooksやAsia Booksといった洋書販売系のチェーンなども同様で、繁華街に行けば、エアコンの効いた大型書店で、好きなだけ本を漁ることが出来るのは嬉しい限りである。もっとも、私はタイ語は読めないので、触手の働く本は少ないのであるが、地元発行の英語で書かれた本も多く、立ち読みしたりして、休憩するにもうってつけの場所である。インドなどでは、街を歩いていると、休憩する場所にも困る場合が多いが、ここバンコクでは、まったくそういう心配はなく、エアコンの効いた本屋に入ることも出来れば、屋台あり、ファーストフードあり、デパートの食品売り場もある。いずれも、地元の人たちで賑わっているが、我々は外国人であることを意識することなく、どこへでも気軽に入って行ける気がする。デパートの食品売り場では、日本円の百円前後でスイカやパパイヤ、パイナップルなどを切って売っており、地元のサラリーマンやOLなどで賑わっているが、私も思う存分この熱帯の果物を食べられたのは嬉しい限りである。タイは貧富の差が激しく、想像以上の階級社会であるというが、最貧と最高級を除けば、それぞれの社会階層の生活を、その日の気分によって体験できるのは、旅人の特権かもしれない。それに対して、デパートや本屋に出入りするタイが、エアコンなしの市バスに乗ることはないようではあるが……。
さて、問題の古書店であるが、今、記録を読みかえしてみると、スクンビット通りの Elite Books というのしか思い出せない。日本人街の近くで、日本語、英語、中国語などの古本をかなり取り揃えている。古本の『地球の歩き方』などは、日本での定価よりも安く、1ヶ月前ぐらいの「アエラ」はほぼ定価程度で売っていた。ここでは何の変哲もない洋書(古本)を買ったのみで、いずれも日本円で300円前後。タイの物価からすれば、書籍は概して高いので、標準的な値段であろうか。アメリカで新刊で買うよりも安いが、日本でも買える本である。持ち帰る手間を考えれば、何故こんなものを買ってしまたのかと、今さらながら後悔している。
タイで買った本で思い出に残るものといえば、まず、Paula Fouce & Denise Tomecko著 SHIVA (The Thailand Press 1990) という本がある。ヒンズー教のシバ神についての解説書で、インドにおけるヒンズー教とシバ神についてのことが中心に書いてあり、写真も豊富である。値段は380バーツ(日本円で二千円弱)であった。オリジナルテキストや日本語への翻訳の有無については知らないが、これぞ私の探していた本という気がしている。サドゥーたちの修行の様子や様々な祈りの風景など、写真を見ているだけで、ヴァラナシかどこかのガートで瞑想している気分になってくる。なかなかの逸品であるといえよう。あと、思い出に残る本といえば、カトマンズの風景などの写真集で、その名も「KATHMANDU」。発行は、シンガポールで、325バーツであった。この本にも、ヒンズー教徒の生活風景の写真や、街の様子、寺院やガート、ダサインのヤギを生け贄にしている血み泥の写真まである。私自身も、このへんの写真を撮ってきたが、迫力に欠けているものの、スキャナで取りこんで、ホームページで公開したい気もしてきた。
この他、地方や小さな書店などで、色々本を買っているが、タイ語のテレビガイドを10バーツで購入している。テレビガイドについては、ヨーロッパ各所を周遊した時、気が向けば買うという感じで、方々集めていたのであるが、なかにはユーゴスラビアのものなど、今では貴重なコレクションではないかと思っている。ユーゴスラビアを訪れたのは、動乱が起こる前であったが、それを予感させるかのように、どこか殺伐とした雰囲気がみなぎり、不穏な印象を持ったのであった。この雰囲気を上手く表現することは出来ないが、駅前に浮浪者が溢れているとか、生活の様子が貧しいとか、活気がないとか、詐欺やボッタクリが横行しているとか、そんな現象とは明らかに異なる次元での「雰囲気」なのである。例えば、同じ東欧といってもハンガリーやポーランドではまったく感じることのなかった雰囲気であるのだが、東ドイツやチェコスロバキアには同じような傾向があったことを気づいている人も多いかもしれない。当時発行した旅行記には、ユーゴスラビアで何かが起こるのではないかと書いたのだが、その数年後に動乱が起ころうとは本当に驚かされた。国が崩壊する直前というのは、こんなものなのかと、今では妙に納得している。それにしても、チトー大統領の理想国というのは、今でも惹かれる部分が大きいが、そもそもが、人間が原初的に持っている憎悪の感情や攻撃性を、理想の名のもとに、教育(=抑圧)しても、人間は、根本的には何も変わらないのではないかとつくづく思える。それはともかく、 このテレビガイドも、もっと網羅的にきっちりと探索しておけば、かなりいいコレクションが出来ただろうにと悔やまれるが、わざわざ探して買うのもバカらしい気がして、なかなか実行できないもである。
アニメ関連の本も、40バーツ前後で購入したが、屋台形式の店で売る漫画なら、もっと廉価で、妖しいものが入手できるという。私は、こちら方面のマニアではないので、敢えて珍本を探求するつもりはないのであるが、やはり東南アジア各所でいろいろ購入してきている。たいてはこの筋一筋のマニアの知人に進呈しているが、たくさん集めれば、見ているだけで楽しいようにも思われる。また、「Nightlife in Thailand」(385バーツ)という、観光ガイドも購入したが、パッポン通りの Upstairs Bar の記事はあったものの、その他の期待していた過激な記事もなく、とんだ散財であった。
96/8/24