荷風の世界
 

この頃私が日和下駄をカラカラ鳴して再び市中の散歩を試み初めたのは無論江戸軽文学の感化である事を拒まない。 しかし私の趣味の中にはおのずからまた近世ヂレッタンチズムの影響も混じっていよう。 …… アレエは西洋人の事故その態度は無論私ほど社会に対して無関心でもなくまた肥遯的でもない。 …… 彼は別に為すべき仕事がないからやむをえず散歩したのではない。自ら進んで観察を企てたのだ。 しかるに私は別にこれと云ってなすべき義務も責任も何もない云わば隠居同様の身の上である。 その日その日を送るになりたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で 勝手に呑気に暮らす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである。


 

江戸軽文学と西洋ディレッタンティズム。 両者は相容れないようでいながら、荷風の散歩の精神において、 見事に統合されていると言えましょうか……。 アレエというフランスの新聞記者は、 「社会百般の現象をば芝居でも見る気になってこれを見物して歩いた」とのことで、 荷風はそこから近代西洋の観照的な態度や過去の遺物への哀惜を読みとりつつ、 そこに東洋的、もしくは中世的隠者の肥遯的態度を加えて、 独特の境地を醸し出しています。

そして、私が好んで引用してきた 「私は別にこれと云ってなすべき義務も責任も何もない云わば隠居同様の身の上である。 その日その日を送るになりたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で 勝手に呑気に暮らす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである。」 という一文が続いています。何とも理想的というか、極めて共感的に読める一文です。 この文章を書いた荷風先生は、まだ三十路も半ば。私とは境遇は異なるものの、年齢はたいしてちがいません。 「なすべき義務も責任も何もない云わば隠居同様の身の上」というのは、 年齢なんぞにかかわりなく、一種の決断によるもので、私も 「その日その日を送るになりたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で 勝手に呑気に暮らす」生活を半ば実践しつつある今日この頃です。  

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