パラントの世界


物質的生活および経済組織の疑問を当面の問題とする人々は、 個人主義を重んぜず、それは貴族的な幻想であり、我慢ならぬエゴイズムだとして、 あっさりと抛棄してしまう。 彼らのアナーキズムは、極端な社会主義に、 個人主義など居場所のない人道主義的および平等主義的共産主義の一種に帰着する。

個人主義は、アナーキズムのようなある一つの政治的および社会的教義のごとく、 一時的な、また人工的な性格のものではない。 その永続性の理由は、社会的であるより、もしろ心理的な理法によるものだからである。 ……

個人主義は、人間の感性の恒久的な、かつ不滅な一つの型として存続し、 また社会が持続するごとく個人主義も持続するであろう。


まずは、アナーキズムから見た個人主義ですが、 そもそも、アナーキーな状況には、個人主義の居場所が存在しないというのです。 それは、個人主義者からアナーキストを見れば、 単なる粗雑な理論であるという知的な批判にとどまるのでしょうが、 アナーキストから個人主義者を見れば、政治的に批判し、糾弾すべき対象だとされることが多いのかもしれません。

パラントいう個人主義は、あくまでも、個人のあり方であるのに対して、 アナーキズムは、マルクス主義とならぶ、政治・経済理論であり、社会運動なのです。 もし、アナーキズムが、個人のあり方として、また思想として洗練されるのならば、 個人主義へとつながる可能性は残されていますが、 社会運動にとどまる限りはそのような可能性は残っていないのかもしれません。

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