大空の下の遠い丘陵……これも「ある」。 存在はどこに存立しているのか? いつ、誰にそれは開明されるのか? 景色をめでる旅人にか? 日ごとその丘陵から収穫し、そこで働いている農夫にか? 天気予報をしようとしている気象学者にか? このうち誰が存在をとらえているのか? みんながとらえているし、また誰もがとらえていない。 それとも、今言ったような人々が大空の下の丘陵においてとらえているもの、 それは、それぞれの様々な有様の中の一つに過ぎず、 丘陵が丘陵として「ある」とおりの丘陵そのものでもなく、 丘陵の本来の存在がそこで存立しているような丘陵そのものでもないのであろうか? そうだとしたら、一体誰がそれをとらえるというのか? それとも、様々な有様の背景に、それ自体においてあるようなものを問うということは、 一般に無意味なことであり、存在の意味にそむくのであろうか? そうだとすれば、存在は様々な有様の中に安らっているのか?…… (Heidegger)