評して見ると木瓜は花のうちで、
愚かにして悟つたものであろう。
世間には拙を守ると云う人がある。
此人が来世に生まれ変わると、屹度(きっと)木瓜になる。
余も木瓜になりたい。
(漱石『草枕』)
その日その日を送るに
なりたけ世間へ顔を出さず
金を使わず
相手を要せず
自分一人で勝手に呑気に暮らす方法をと
色々考案した結果の一ツが
市中のぶらぶら歩きとなったのである。
(荷風『日和下駄』)
髭を生し洋服を着てコケを脅そうという
田舎紳士風の野心さえ起こさねば、
よしや身に一銭の蓄なく、
友人と称する共謀者、
先輩もしくは親分と称する阿諛の目的物なぞ
一切皆無たりとも、
なお優游自適の生活を営む方法はすくなくはあるまい。
(荷風『日和下駄』)
(荷風『墨東綺譚』)
近代人の世の事、一つも戀ふべきことなし。
人の師たる者は貴きを先にし、富めるを先にし、
文をもちて次とせず、師なきにしかず。
人の友たる者は、勢をもちてし、利をもちてし、
淡をもちて交はらず、友なきにしかず。
われ、門をとざし、戸を閉ぢ、
ひとり吟じ、ひとり詠ず。
もし余興あれば、児童と少船に乗り、舷を叩き、棹をうごかす。
もし余暇あれば、僮僕を呼ばひ、後園(菜園)に入り、
あるいは糞まり以は濯ぐ。
我わが宅を愛し、そのほかを知らず。
(慶保胤「池亭記」『本朝文粋』)
……
娯楽にふける人間は、日々悪徳に溺れ、
悲しみと後悔の行為を積み重ねていた。
労働に励む人間は、労働に必要な生命力を維持するパンのために、
日々の格闘のうちに自分の力を使い果たし、
日々の悲しみの円環の中に生き、
ただ働くために生き、ただ生きるために働き、
毎日のパンが、うんざりする生活の唯一の目的であり、
うんざりする生活が日々のパンの唯一の動機となっているかのようであった。
このことは、私の王国であったあの島で過ごした生活を思い起こさせた。
そこでは、より多くの穀物を作ろうと苦しまされることはなかったが、
それは私が必要としなかったからであり、
多くのヤギを飼おうと悩むことがなかったが、
それは多くのヤギが必要でなかったからであり、
お金はかび臭くなるまで引き出しに放置され、
20年間、人目につかずにほっておかれた。
(『ロビンソン・クルーソー』第二部)
(ロバート・パーシグ『禅とオートバイ修理技術』)