木瓜は面白い花である。
枝は頑固であつて、曲がつたことがない。
そんなら真直ぐかと云ふと、決して真直でもない。
只真直な短かい枝に、真直な短かい枝がある角度で衝突して、
斜に構へつつ全体が出来上がつて居る。
そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。
柔らかい葉さへ、ちらちら着ける。

評して見ると木瓜は花のうちで、
愚かにして悟つたものであろう。

世間には拙を守ると云う人がある。
此人が来世に生まれ変わると、屹度(きっと)木瓜になる。
余も木瓜になりたい。

(漱石『草枕』)


私は別にこれといってなすべき義務も責任も何もない
いわば隠居同様の身の上である。

その日その日を送るに
なりたけ世間へ顔を出さず
金を使わず
相手を要せず
自分一人で勝手に呑気に暮らす方法をと
色々考案した結果の一ツが
市中のぶらぶら歩きとなったのである。

(荷風『日和下駄』)


現代の生活は、亜米利加風の努力主義を以てせざれば
食えないと極まったものでもない。

髭を生し洋服を着てコケを脅そうという
田舎紳士風の野心さえ起こさねば、
よしや身に一銭の蓄なく、
友人と称する共謀者、
先輩もしくは親分と称する阿諛の目的物なぞ
一切皆無たりとも、
なお優游自適の生活を営む方法はすくなくはあるまい。

(荷風『日和下駄』)


彼が十年一日のごとく花柳界に出入りする元気があったのは、
つまり花柳界が不正暗黒の巷であることを熟知していたからで。
さればもし世間が放蕩者をもって忠臣孝子のごとく賞賛するものであったなら、
彼は邸宅を人手に渡してまでも、その賞賛の声を聞こうとはしなかったであろう。
正当な妻女の偽善的虚栄心、公明なる社会の詐欺的活動に対する義憤は、
彼をして最初から不正暗黒として知られた他の一方に馳せ赴かしめた唯一の力であった。

(荷風『墨東綺譚』)


東閣に入り、書巻を開き、古賢に逢ふ。
……
晋朝の七賢異代の友たるは、
身は朝にありて、志は隠にあるをもちてなり。
……

近代人の世の事、一つも戀ふべきことなし。

人の師たる者は貴きを先にし、富めるを先にし、
文をもちて次とせず、師なきにしかず。

人の友たる者は、勢をもちてし、利をもちてし、
淡をもちて交はらず、友なきにしかず。

われ、門をとざし、戸を閉ぢ、
ひとり吟じ、ひとり詠ず。

もし余興あれば、児童と少船に乗り、舷を叩き、棹をうごかす。
もし余暇あれば、僮僕を呼ばひ、後園(菜園)に入り、
あるいは糞まり以は濯ぐ。

我わが宅を愛し、そのほかを知らず。

(慶保胤「池亭記」『本朝文粋』)


私のまわりでは世間の人々は忙しそうに見えた。
片や、パンのための労働に忙しく、
片やとるに足らない不謹慎で空虚な娯楽を浪費していた。
どちらも等しく哀れであった。

……

娯楽にふける人間は、日々悪徳に溺れ、
悲しみと後悔の行為を積み重ねていた。

労働に励む人間は、労働に必要な生命力を維持するパンのために、
日々の格闘のうちに自分の力を使い果たし、
日々の悲しみの円環の中に生き、
ただ働くために生き、ただ生きるために働き、
毎日のパンが、うんざりする生活の唯一の目的であり、
うんざりする生活が日々のパンの唯一の動機となっているかのようであった。

このことは、私の王国であったあの島で過ごした生活を思い起こさせた。
そこでは、より多くの穀物を作ろうと苦しまされることはなかったが、
それは私が必要としなかったからであり、
多くのヤギを飼おうと悩むことがなかったが、
それは多くのヤギが必要でなかったからであり、
お金はかび臭くなるまで引き出しに放置され、
20年間、人目につかずにほっておかれた。

(『ロビンソン・クルーソー』第二部)


パイドロスよ、
善きこととは何か、また悪しきこととは何か−−
私たちはこれらのことについて、
誰かに問う必要があるのだろうか? 

(ロバート・パーシグ『禅とオートバイ修理技術』)


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