ジベール書店などはたかが教科書本屋であるとして侮る向きもあるやうですが、 わたしはここに足しげく通つて、よく立ち読みをさせてもらつてゐます。何とい つても品物の回転が早いので、ときには面白いものに出くはす可能性もあるから ですが、ここのところ哲学書の話を書いてきた因果が不思議に働いたのか、たて 続けに哲学者の献呈署名本が見つかりました。DDBの欧州叢書の一冊として1966年 に出版されたジャン・ギトンの『全集・肖像』は、ジャンケレヴィッチも指を折 つて推奨する『ベルクソンの天職』(1960)ほか六つの伝記ものを収めた巻ですが、 見返しには著者が青のボールペンで「モランジュ夫妻に/わたくしの秘められた 源泉である/この書を贈る」と書き、隣の頁に並んだ収録七作品のリストのなか で『プジェ氏の肖像』と『谷間の母』とに下線を引いたうへに、これを線で結び つけてきて可愛いハート型のマークを書き入れたりなどしてゐます。あるいは、 アンリ・グイエの『オーギュスト・コントの生涯』(第7版1931年ガリマール刊) には、「ジュヌヴィエール・コーウェル嬢に/1931年のお喋りと哲学の時間の思 ひ出として/アンリ・グイエ」といふ著者自筆献辞があり、おそらくは自分の学 生に著書を贈つたのでもあらうこの大哲学史家の温厚にして誠実な人柄が筆跡か ら偲ばれます。この書物は棚の最下段に同じものが二冊ならんであつたのですが、 腰を屈めてこれを取り上げてみようとするとき、一瞬これが署名本であるやうな 奇妙な視覚的イメージが脳裏をかすめ、最初に開いた一冊が事実さうであつたと いふ、ちよつと不思議な経験をしました。
ジベールでこの手の書物が見つかるのは、さうざらにはないことないので、大 喜びでしたが、例によつて念のため他の棚をも見回してゐると、前にも見たこと のあるモーリス・ブロンデルの『存在と諸存在』をついまた引き抜いてしまひ、 開いてみて表題頁の右肩にサインが斜めに書かれてゐるのを認めつつ、あぁこれ は以前に確認した旧蔵者の署名だつたな、とそのままこれを棚に返しかけたので した。ところが、この日は何故か表題の次の頁もめくつてみたくなつたのです。 すると、序文第一頁の上部に黒インクで「G.リーフ夫人に/恵存/M.ブロン デル」と堂々たる筆跡で書かれてある、これには目を丸くました。ブロンデルと いへば、フランス・スピリチュアリスムの思想潮流のなかで最も壮大な宗教哲学 を開花させたひとで、一方でへーゲルと比較されたり、他方でベルクソンと対に して論じられたりする大物です。まさかジベールにこんなものがあるとは思はな かつた! と驚きつつ、この書物をよく見れば、パリのアルカン社から1935年に刊 行された原装仮綴の初版で、しかもナヴァール製紙のアルファ紙に刷られた限定 版なので、全く黄ばみも染みもない美本でした。献辞は見返しか表題頁に書かれ ることが多いので、あやうく見逃すところでしたが、これで図らずもラプリュヌ からラヴェル、ブロンデル、あるいはグイエ、ギトン…と系統的に書物が揃つて きたので、次は誰のものに出会へるのだらうかと期待が膨らんできます。
[前回のものを読む] 1997.3(4)