そのをり、同じ店でわたくしの方は、パリのポワニエから1802年に出版され たヴィーラント(1733-1813)の『アリスティップと同時代の哲学者たち』(仏訳) を求めました。残念ながら全七巻のうち第三巻が欠けた不揃ひのもので、しか も背に貼られた赤のエティケットが欠落した巻もある中途半端な代物でしたが、 それでも古代ギリシアにおける快楽主義の系譜を扱つたテクストと珍しい版画 の魅力に引かれて購入に及びました。といふのも、各巻に添へられた哲学者た ちの肖像画は、ソクラテスといひプラトンといひ、今日見慣れたものとは全く 異なる肖像であり、その見知らぬ挿絵を見ながら未知の古いテクストを読むと いふ楽しみを考へて、形式的統一性にこの際は目をつぶつたわけです。もつと も、焦茶染総羊革による時代装の背にも角にも殆ど痛みがなく、テクストは読 まれてゐなかつたと見えて真さらの状態でしたから、カリテ・プリ(コスト・ パフォーマンス)からしてこれを買はずに見送つては後悔するやうな気がした のでした。そんな時には迷はず買つてしまふのがよく、また買つたからといつ て後悔することなど無いといふのが経験の教へるところで、今回もその例外で はなかつたのです。
ちなみに、このヴィーラントの挿絵を見てゐて思ひ出されるのは、以前に入 手しておいたスタンレイ(1644-1678)の『哲学者・詩人列伝』です。1702年にラ イデンで発行されたフォリオ版のこの書物は、総ヴェランの時代装に赤染マロ カンのタイトル・ピースをもつた立派な大部冊ですが、そこに収録されてゐる 42葉の版画が、古代ギリシアの哲学者や詩人の肖像画でありながら、やはり全 く見慣れないものなのでした。これらの肖像画は、当時伝はつてゐたのであら う古代人の石像彫刻を更に版画に写してイメージを定着させたもので、まこと に「真実から遠ざかること三番目」の感がありますが、興味深いのはそこに表 はされた哲学者の哲学者らしさ、詩人の詩人らしさです。十八世紀初頭のスタ ンレイと十九世紀初頭のヴィーラント、さらに今世紀のわれわれが親しんでゐ る哲学史のそれぞれに収録された肖像画を見比べてみると、個々の哲学者に帰 せられるイメージが時代ごとに大きく異なつてゐることが判ります。今日ふつ うに見慣れてゐるものも決して当たり前のものではなく、時代や場所によつて 左右される便宜的なものに過ぎないのだといふことを再認識させられます。視 覚的イメージの与へる印象が強烈であることを考へますと、価値相対化の意識 を改めて蘇らせねばならないと痛感されるのです。現在の西洋哲学史が全く忘 れ去つてゐるスタンレイも、少なくとも十九世紀初めには広く知られてをり、 その羅訳『哲学史』(1711年ライプチッヒ刊)などは価値ある珍書として(とく に愛書家の間で)探求されてゐました。
[前回のものを読む] 1997.4(4)