例えば、漂泊の俳人・芭蕉と一茶を比べてみれば面白い。 生活の諸問題や金銭に関心を抱かざるをえなかった一茶に比して、 裕福な弟子・パトロンに恵まれた芭蕉は、 世俗に煩わされることなく、悠然とした風流人、聖人君子然としていられたのである。 遡れば鴨長明や吉田兼好は、所領からの安定した収益があったがゆえに、隠者然としていられたのであるが、 漱石の描く高等遊民の時代ともなれば、最後には世間に生活の糧を求めて出て行かねばならなくなるのである。 現代に即してみれば、宗教家や文化人、新聞記者や大学教員などが、 金銭を蔑む発言をしたとしても、それは安定した経済的基盤を持っているがゆえに可能なのであり、 我々庶民が真似をすれば、たちまち将来の生活設計が成り立たなくなってしまうのである。
それに反して、市井に身をおきながら、金銭と付合い、金銭を上手く活用しながら、 市井を超越し、金銭それ自身をも超越ていたのは、 西は、厭世の哲学者・ショーペンハウエル、東は反俗の文人・荷風先生などが思い浮かぶ。 ともに今で言う財テクによる資産運用を心掛け、隠者然とした生活を守った人物である。 大学にポストを持っていたヘーゲルがいわば御用学者として国家の保護を受けていたのに対して、 ショーペンハウエルは私費によって、自分の生活を守り、研究を深めることが出来たのである。 後世の美談は、物質的な生活を軽視することによって、 彼らを英雄に祭り上げることが多いのであるが、 そのことが彼らの真の姿から我々から遠ざけ、 隠者の生活が絵に描いた餅のようになってしまうのである。
コツコツと貯めたお金で株を買い始め、 今や紡績の名門・シキボウ(3109)の第二位(529万株)の株主となられた遠藤四郎氏には、 おおいに感銘を受けました。 遠藤氏は、行け行けドンドン的な雰囲気の強い株の世界にあって、 周囲の雑音に惑わされることなく、マイペースに地道に堅実な投資を心掛け、 30億円を超える資産を築かれたようです。 書名は忘れてしまって、不確かなのですが(『ゼロから始めた株式投資』?)、 遠藤氏の著書はユニークな投資の解説書であるだけでなく、 謙虚で誠実そうな人柄もしのばれ、究極の一冊という気がします。 どこか、一般の会社社会では決して日の目を見ることがないような、 極めてマニア的、オタク的な人でもあるようで、親しみも持てます。 当方の投資スタイルは遠藤氏とは異なりますが、非常に勇気づけられる思いがいたします。
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