パラントの世界
連帯主義者にとって、宇宙は一つの巨大な社会であって、
個人はこれから切り離されようと思っても出来ないものであると考えられる。
連帯主義者は、その動作の一つ一つが、その行為の一つ一つが、その考えのほとんどが、
中国までも、カムチャッカまでも、土星あるいは火星までも影響を及ぼし、
逆にこれらの国々、あるいは遥か遠いこれらの星の住民たちの動作の一つ一つ、
行為の一つ一つが、たとえそれらが僅かであっても、彼に対して影響を及ぼす、
と信じていることによって、満足を見出すのである。
この普遍的な依存関係を感じ、そこに満足を見出し、それを楽しみ、
ことさらにそれを過大評価する、といったことが連帯主義の感情の特徴である。
……
連帯主義の哲学を援用する人々は、たいてい人を取り入れる、権力を振り回す人物であり、
連帯主義の思想が、彼らの勢力を、他の人々の意志を支配する口実の役目としている。
これらの人々は、個人主義者に対して、孤立することは不道徳であると禁じる。
ここでいう連帯主義が、何か特定の思想上の立場をさしているのかどうか知りませんが、
とりあえず、一般的な意味から、個人主義に対恃する立場であると解釈しても差し支えがないかと思われます。
現代の日本の思想界においては、デカルト的な自我はもう古いということで、
もっぱら、「個」ではなくて、「関係性」の時代といえましょうが、
上記の一文は、いまだに色褪せない有効な反論かと思われます。
個人は重力の法則から逃れられず、
重力の法則に従って、重力との関係において生きている訳ですが、
だからいって、その関係性が個人のあらゆる側面を完全に支配し、
個を関係性の中へと解消している訳でもないのです。
確かに完全に孤立した「個」、
あらゆる関係性を捨象した「個」を想定することは不可能ですが、
関係性がすべてだとして、「個」を完全に捨象することは無意味なのです。
そして、そこに道徳性を持ち出し、何らかの価値判断を示すことは出来ず、
個人が孤高の精神を守ろうとすることは悪であると、
不道徳に批判する根拠とは到底なり得ないことなのです。
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