その5
ここでは、ビーフシチューのような煮込み料理とジャガイモ料理で13.8コルナ、ビ ール0.3リットルで1.5コルナ、日本円に換算すれば三百円程度であるが、料理の方は ともかく、ビールの安さには目を見張る。だいたい社会主義の国々では食料品など生 活必需品の物価が低く押さえられ、贅沢品といえるものの値段が高いのであるが、こ こでは食料よりもビールが安い。チェコスロバキアではレストランに限らず、スーパ ーなどで売っている食料品の値段は、必ずしも安くなく、安いものといえば、ビール と鉄道や市電など公共交通機関の運賃ぐらいのものである。もっとも、通貨管理制度 によって、コルナのレートが高く設定されているので、闇両替すればすべてが激安の 世界である。何はともあれ、名物のピルゼンビールが安いのは嬉しいことで、百円も あれば1リットルは飲めるし、アルコール度数が高い割(12%前後)には喉ごしもよ く主食代わりにするのも悪くない。店内は中途半端な時間であるにもかかわらず、ビ ールをひたすら飲んでいる人がいたり、食事の人、お茶の人と様々である。日本では、 昼間から一杯傾けている人といえば、住所不定のアルコール中毒者ぐらいしか思い浮 かばないのであるが、社会主義といえども、こういう風景を見る限りは、とても自由 な感じがするのである。
一杯気分で、カレル橋からプラハ城を見物しながらブルタバ河畔を散策し、今度は 旧市街へと足を運んだ。ここには古くから伝わるからくり時計があり、観光客を集め ているが、運よく時間ごとに登場する人形たちと対面することができた。
私は東京にいる時は、新宿西口を通るたびに、小田急ハルクのからくり時計を見る ことを秘かな楽しみにしているのであるが、人形たちが出てくる時間にあわせて、わ ざわざ出向かないこともないではない。そんなものをわざわざ眺めに行くのは、恥ず かしい気がするのであるが、この旧市庁舎天文時計は世界各地から見物客を集めてい るのである。小田急ハルクの時計をわざわざ見に行くと言えば世の物笑いの種となる 一方で、この天文時計を見に行くことは非難されるはおろか、意義あることとされて いるのである。
果して、この両者の間にいかなる差異が存在していると言えるのかは知らないが、 こちらは、歴史的宗教的なものであり、見物されることが運命づけられているかのよ うである。歴史的・社会的な文脈の中から、人々は観賞の意義を見いだすのか、それ とも、芸術的な文脈から意義を見いだすのであろうか。プラハの歴史はおろか、東欧、 世界の歴史からも自由になろうとする旅人にとっては、そんな差異はどうでもいいこ となのかもしれない。
世間で名所旧跡だとされている所、訪れるべきだといわれる所を訪ねることは、結 局は世俗的な視点を追体験し、世間(社会)の一員であることを再確認していること になるのであろう。世間との違和感を抱き続けている旅人にとっては、世俗を超越す るような夢幻の世界、同様の思いを抱いた先達たちの世界を追体験し、超越すること こそが大切なのである。それが世間の名所旧跡と重なっているときもあれば、そうで ないときもある。<世界>は<私>の一部として開示され、存在しているのである。
それはともかく、粉雪が舞い、大陸的な寒さがひしひしと感じられる中、チェコス ロバキアの歴史と宿命を背負っているかのように、からくり時計は時を刻み続けてい るのかもしれない。
地下鉄に乗ったりして宿屋に戻ると、廊下で見知らぬ日本人がワインの栓抜きを持 っていないかと話しかけてきた。そのことが縁となって、葡萄酒を貰ったりしながら、 だべることになる。自称、「青年失業家」(失業青年)で、欧州を放浪中という彼は、 なかなかの話好きである。その後、お腹も減ってきたので街へ食べ物を捜しに行った のであるが、まだ宵の口というのに多くの店は閉まっており、駅で鶏の唐揚げのよう なものを買ってきて、再び、一杯飲むことになった。世間ではもっぱら青年実業家の 羽振りがいいのであるが、何と言っても青年失業家は、世俗のしがらみにとらわれる ことなく、自分のために自分の時間が使えるのである。まさに隠逸思想の体現者かも しれない。
一般に、社会主義国では、青年実業家が資本主義の走狗だとして非難される一方で、 青年失業家となることはできないといわれている。そもそも社会主義経済において、 失業は存在しないものであり、失業青年は資本主義の病巣であり、同情に値するもの とでも認識されているのであろう。一方、主体的に失業しようとすれば(すなわち離 職しようとすれば)、病気にでもならない限り、国家に対する反逆、反革命として処 罰の危険性すらある。資本主義国においても青年失業家となることは、経済的・社会 的な面からも、決して容易とはいえないが、やむなく失業することもあれば、自ら職 につかないことも不可能ではない。資本家による労働者の搾取が公認されている以上、 地代や金利によって生活することは悪徳ではないし、乞食をして糊口を凌ぐことも否 定できない。
確かに、働かざる者喰うべからずといった思想は、社会主義特有のものではなく、 資本主義国家でも語られ、現代でもますます力を増していることは事実である。そも そも、近代資本主義文明は勤勉な労働を肯定するプロテスタンティズムにその源が求 められるのであるが、社会主義はさらにその精神を徹底させたものである。搾取が、 資本家や地主による非合理なものから、国家官僚による合理的なものにかわった分だ け、「みんなのために(社会のために)」という名のもとに、さらにその精神の発揚 が求められ、勤勉な労働を否定することは許されないのである。
このようにみてくるならば、主体的に青年失業家となった者は、現代産業社会(資 本主義・社会主義)からの逸脱者であり、中世的隠者の再現だともいえる。中世社会 においても、隠者の存在が全面的に肯定されていたとはいえないが、近代の資本主義 (そして社会主義)文明と最もする鋭く対立するのがこの中世的な隠逸思想であるこ とに違いない。いうならば、隠逸思想を否定することによって、資本主義文明は興隆 し、さらに社会主義へと受け継がれていったのである。このことを逆にいえば、隠逸 思想こそ近代社会を否定しうる(脱近代=ポストモダンの)思想であるといえよう。
翌朝は、肌寒い曇天であった。なんだかすっきりしない朝であるが、私の誕生日に ふさわしい天気かもしれない。誕生日であるからといって、別にどうということもな いのであるが、知らず知らずのうちに自分一人で秘かな楽しみとするようになったよ うである。特別なこだわりがあるわけではないが、何か様々に思い出されることがあ るように思う。
例えば、幼少の頃はお誕生日会と称して、友人を招いたりして、ささやかな宴を催 してもらっていたのだが、いつの頃からかそのような習慣もなくなり、誰からも私の 誕生日は忘れ去られたような気がする。そもそも私は、自分一人で物事を楽しむ傾向 があるのだが、意識的に自分の誕生日を人に語らなくなったのかもしれない。そして、 誕生日のどこがめでたいのかと思いながらも、自分一人で秘かにそれを祝っているの だろうか。なんだかナルシスティックな気がしないでもない。
今回はプラハで迎えた誕生日であるが、前年はマドリッドで迎えたのであった。思 い起こせば、暖かなリスボンから夜行でマドリッドに戻ってきたその朝は、吹雪に見 舞われ、途方に暮れていたのである。行く所がなかったものの、百貨店の食堂でケー キを食べたり、茹で蛸をつまみながら、葡萄酒を飲んだり、本屋を巡ったりと、それ なりに面白い一日であったのだ。そして夜には、偶然にもポルトガルで知り合った関 西人と再会し、彼の行きつけの店に案内してもらったのである。私は自分の誕生日に ついて話しそびれたのであるが、彼の友人を交えてとても楽しい歓談となったのであ った。
そんなことなら、なにもスペインくんだりまで来なくても良いようなものだと言う 人もいるかもしれないが、やはり異国には異国の情緒というものがあり、たとえ何も しなくても、それに浸るだけで充分な時もある。また、田舎で一生懸命勉強している よりも、都会での昼寝をしているような生活をするの方が有意義であるという「京の 昼寝は田舎の学問」という言伝えと、まさに同じようなものである。もっとも、現代 社会に即していうならば、京というのは、ニューヨークや東京のような情報発信都市 のことで、マドリッドやプラハ、京都のような古びた街のことではないのかもしれな い。
今回もプラハでの予定は終了し、もはや街をぶらつき、異国情緒を味わいながら様 々な意識を脳裏にめぐらすこと以外、期待するものは何も残っていない。
そもそも、初めて旅の途中で迎えた誕生日というのは、一九八五年の冬のことであ ろうと思われる。東京の大学を受験すると言って家を出た私は、ユースホステルなど を拠点に東京の街をさまよい歩いていたのである。神田神保町を初めてゆっくりまわ ったのもこの時のことで、社会主義・ソビエト音楽専門の新世界レコード社でソビエ ト歌曲・ロシア民謡集を購入したりしたのであった。
そして、誕生日の朝、そういった東京に別れを告げ、冬晴れの新宿駅から信州・松 本へと向かったのである。朝のラッシュの続く新宿駅では、通勤客をあざ嗤うかのよ うに特急列車あずさ5号は静かに停車していた。激しい乗降の繰り返される山の手線 と異なり、閑散とした中央線のホームでは、信濃路へとスキーへ向かう男女のグルー プや重装備のリュックを持った山男の姿などが見える。なかでも中年サラリーマンの、 一人で無心に鳩に餌をやっている姿が、まわりの世界から浮かび上がっているかのよ うであった。その人は旅慣れた多忙なビジネスマンだったのかもしれないが、一人で 鳩に餌をやる姿は、何故かせわしない世の中の流れからはみ出してしまっているよう に思えたのである。駅ビルに輝く朝の陽射はひときわまぶしく、そのような日常のコ ントラストを超越しているかの如くで、この情景は何か象徴的なものとして私の心象 に焼き付いている。
幾多の山を眺めながら、あずさに乗ること三時間あまりで、松本に到着してのであ るが、初めて見る松本の街は、スパイクタイヤの粉塵にまみえていたものの、落ちつ いた風情を感じさせてくれた。信大を訪れたのも、この時が初めてなのであるが、二 次試験、合格発表と、この街を訪れることになり、そして、この地に住まうことにな ったのである。松本が第二の故郷となり、幾度となく訪れた新宿、そして、その二つ の街を結ぶ中央線、これらはこの一九八五年の誕生日の光景と密接に結び付いている。
それはともかく、プラハでの誕生日の朝も、私にとって何か深い意味を持つように なるかもしれない。早々に宿屋を出て、駅に荷物を預けることにした。というのは、 宿の予約がこれ以上とれず、夜行でワルシャワへと旅立つことにしたのである。散策 を開始したものの、やはり東欧の冬は寒い。雪が降りそうで降らない曇天の寒さは格 別であるが、体の芯まで冷えてくると、ついつい暖かい所に入りたくなるものである。 手っとり早く暖かくなるところといえば、やはり食堂の類である。
朝食はカナッペに牛乳、あとケーキを食べたり、お昼もカナッペ類を食べたりした。 食事は十コルナ前後かかるから、一食につき二百円近くの出費である。レストランで の食事としては安いが、日本での自炊生活に比べれば安いとはいえない。しかし、当 時のチェコスロバキアでは、西側からの外国人旅行者は、一日あたり20ドルの強制両 替、即ち、180 コルナ弱のお金を必ず使わなければならないという法律があったので、 けちっていてはお金が余ってしまうのである。
百貨店をぶらついたり、ソフトクリーム売りの行列にならんだりするうちに、日も 暮れていった。そして、夜行列車に持ち込む食料品を購入するため、百貨店地下のス ーパーマーケットへ行くと、ここにも長い行列ができている。行列は社会主義社会の 象徴のように言われたりするのであるが、ハンガリーなどと同様で、品物不足がその 原因なのではなく、店内が満員にならないように、買い物篭の数が少なくしてあり、 入店する客の数が制限されているのである。
夕食をとってから駅に戻った。時間があるので、駅構内にある公衆シャワーを利用 すると8コルナである。こちらの物価水準からみても安くはないし、浅間温泉・昭和 の湯(百円)に比べても高い。もっとも、タオルや石鹸は貸してくれ、窓口のおばさ んは親切である。その後は駅構内で夜食を食べたり、一杯飲んだりしていると、手持 ちのコルナはなくなり、一日20ドルを使いきったことになる。
午後九時前、列車に乗車。ほとんどの座席には予約が入っているようだ。私はクシ ェットを予約していたので、座席の心配は入らない。車掌に切符を見せると、寝台ま で案内してくれた。同室者は初老のおばさんと娘、中年のビジネスマンなど様々であ る。みんな無言で、寝台に寝そべったり、廊下に出て、外を見ていたりする。スペイ ンなどラテン系の人々ならば、同じ車両に乗り合わせたというだけで、知らない者同 志でうるさいぐらいに喋りたおすのであるが、ここではみんなとても静かである。私 も元来静かな人間なので特に違和感はない。
列車の寝台に寝そべって、一献を傾けると、再び今日は誕生日であったのだという ことが思い出されてきた。特に何もない一日だったが、それなりの趣はあったといえ よう。誕生日というものは、それを祝うべき科学的根拠などなく、特別の日だと考え る必然性も何もないのであるが、星占いなどにみるように、自分の生まれた時の星座 の位置が人間の運命を支配すると考えるならば、誕生日が特別の意味を持っているこ とにはなる。星座の運行に人間の運命が支配されているとは考えにくいものであるが、 潮の干満なども我々には見ることのできない宇宙の引力の影響であるし、その他にも わからないことは多数存在している。誕生時の星座の位置関係によって、我々の運命 の一部が決定されたと考えたとしても、決して根拠がないことだとは言い切れないか もしれない。そして、実は水瓶座生まれであると言われることに秘かな満足を感じて いるのでもある。
それ以外にも様々な占いの類は多いが、詳細を知りたいと思いながらも、残念なが らその機会はない。しかし、血液型については、いやというほど聞かされたりして、 少々うんざりしているのであるが、こちらも妙に納得させられるところがある。例え ば、自分の生命力の無さや厭世感も血液型によって運命付られていると思えば気も晴 れし、自分勝手で優柔不断で、しかも二重人格で頼りにならない……とレッテルを貼 られることによって、かえって何か免罪された気がしたりもする。
それに、自分自身を決めつけられて安心するだけでなく、人との相性や民族性との 関係で説明されても、妙に納得させられるところも多い。例えば、アメリカ人・フラ ンス人にはO型が多く、イギリス・ドイツがA型、中東からインド・中国にB型が多 いというが、私のアメリカ嫌い、フランス嫌いも説明されたような気さえしてくる。 なかでもアメリカの黒人にはO型が多いそうで、そんなことを聞くと、なんか差別心 が生まれてきたりもする。アメリカ人だからといって、傲慢で、ふてぶてしく押しが 強いとは限らないし、その理由を血液型に求めるのは安易なことである。人には好き 嫌いはあっても、何事も先天的に決めつけると、妙な偏見が生まれるものである。何 よりもAB型はマイノリティーなので、血液型による決めつけが蔓延すれば、その被 害を最も受け易いのかもしれない。
そのうち列車は動きだし、プラハの街を後にして、ワルシャワへと向かった。時刻 表を見ていて気付いたのであるが、この列車は日付が替わってから、国境を越えるの である。そうすると、強制両替の日数が一日足りないことになる。最悪の場合はプラ ハに送還されて、手続きをさせられることだろうが、それとて、罰金までは取られな いだろうという気はするし、せいぜい不足分20ドルを両替させられ、その場で出国す るといえば、コルナは国外に持ち出せないと、没収される危惧はある。果してどうな るのか不安を感じながらも、そのうち眠ってしまった。
その後、係官の下車した列車は、静かに動き出し、国境を越え、ポーランドに入国 した。こちらでも、多数の国境検問所の係官が乗り込んで来て、荷物の検査など様々 な検査がある。所持金の申告もさせられた。検査の終了後は、列車は再びワルシャワ を目指して走り出すことになる。そのうち寝てしまった。
朝の八時頃より起床。まわりの人々は静かに持参のパンなどで食事をしている。私 もパンを噛じったりしているうちに、列車はワルシャワ中央駅に到着した。大きな駅 構内をぶらついてから、外に出ると粉雪が舞っている。ワルシャワはプラハより北で あり東であるが、寒さがさらに増した感じである。
ここでも国営旅行社へと歩くことにした。東欧ではどこでも代表的な国営旅行社が あるが、例えば、ソ連でいうインツーリスト、ハンガリーのイブス、チェコスロバキ アではチェドックがそれにあたる。ここポーランドではオルビスという会社である。 このオルビスが、鉄道・航空・ホテル・両替・ツアーの手配などあらゆることを取り 仕切り、外国人旅行者なら必ず世話になるところである。私は、このオルビスで両替 を済ませることにした。学生としてビザを申請していたので、一日あたりの強制両替 は7ドルでよい。とりあえず、30ドルを両替したら、パスポートに強制両替を済ませ たというスタンプを、オルビスの係官が押してくれた。
そのようなこともあり、一日の予算を10ドルと考えても、ここポーランドではチェ コスロバキア(一日20ドル)の半分で生活できることになる。もっとも、強制両替と いうのは、最低限これ以上のお金を使わねばならないということで、これだけのお金 があれば大丈夫という意味ではない。しかし、物価の安い国なので、安宿さえが見つ かれば、一日10ドルでも充分なのであるが、オルビスでも安宿は紹介しないという。 アルマトゥールという若者向け旅行社へ出向くことにした。(つづく)
【注】この連載は、本誌『探索』一九八七年春季号から一九八九年春季号まで連載された《欧州旅日誌》(一九八七年二月から四月にかけての旅)に続く、 連載紀行文として、一九八八年二月から四月にかけての旅の記録をもとに執筆されました。