続欧州旅日誌 1988年

その2


《続欧州旅日誌2》 ドイツ

【フランクフルト 2月11日】
 フランクフルトに着いたのは午前7時であったが、緯度が高いためか、まだ夜明け 前という感じである。入国審査もパスポートを見せるだけという簡単なもので、さっ そく外に出ることにした。まずは両替と、空港内の銀行へ。取り合えず、ツーリスト インフォメーションを捜したが、その前に小さな旅行代理店を見つけたので、入って みることにした。

 今回の旅では、英国へ渡るまでの、二週間を東欧諸国を適当に歩きたいというよう な極めて大まかな予定しか立ててこなかったので、特にどこへ行こうというあてはな かった。成田から英国に直行するのは、面白くないので、たまたまフランクフルト行 きの航空券を購入したのである。到着そうそうではあるが、旅行代理店では、東へと 向かう鉄道について、尋ねることにした。とりあえず、フランクフルトで、チェコス ロバキアのビザを取り、ニュルンベルクからプラハへ向かうのが、いいのではないか と思えてきた。そして、ニュルンベルクへの切符を購入しようとしたのだが、念のた め、フランクフルトにチェコスロバキアの領事館があるかどうか尋ねてみた。商業都 市フランクフルトには当然、隣国の領事館ぐらいはあるだろうと思っていたのだが、 それがないというのである。チェコのビザはボンの大使館でしか、取れないという。 当然、ニュルンベルクにも領事館はなく、国境の接する街にいても、首都に行くか、 もしくは代理店を通すかしなければ、ビザは取れないというのである。

 ボンまで行くぐらいなら、ウィーンでビザを取ろうと、ウィーン行きの切符を購入 することにした。切符は、通して買う方が安く、ヴュルツブルク・ニュルンベルクを 経由する青年割引切符で百マルク(約七千八百円)である。

 空港地下にある国鉄の駅から市内へは十分もかからない。駅前には、ゴールドスタ ーなど韓国企業の広告が目につく。フランクフルトの空港にもサムソン電子の広告が、 腐るほどあったが、韓国企業の進出には目を見張るものがある。昨年秋に韓国を訪れ た故に、これらの宣伝が目につくようになったのかもしれないが、昨春来たときには 全く気がつかなかったようだ。

 昼過ぎまで、市内をぶらぶらして時間をつぶした。駅近くのエロスセンターは、夜 ほどの活気がない。ゲーテの家など見るべきところも多いが、面倒なので行かなかっ た。

 14時20分、準急に乗車。38分の発車であった。フランクフルトとヴュルツブルクの 間は、いわば特急ともいえるインターシティー(IC)によって、密接に結ばれてい るのであるが、ICに乗ると、追加料金がいるので、準急にしたのである。車両はコ ンパートメント式でなく、どことなくもっさりしているが、車窓の風景にはかわりが ない。マイン川に沿って、白い壁に赤い三角屋根というようなおとぎ話の国のような 家々がある。教会や古城を中心にした集落、ぶどう畑の続く丘……。やはりライン河 畔にはかなわないが、それでも情趣ある景観である。


【ヴュルツブルク 2月11日〜12日】
 16時30分ヴュルツブルク着。アルプスを越えてイタリアのローマへと続く古道・ロ ーマンティック街道は、この街から南へと伸びている。中世のたたずまいを残し、旅 人を落ちついた気分にさせてくれる。マリエンブルク要塞近くにあるユースホステル へと歩くことにした。観光がてら旧市内をぶらぶら歩いたが、小一時間とかからない。 今夜の宿とすることにした。部屋はこぎれいだが、17マルク(約千三百円)である。 日本にくれべれば格段に安い。

 相部屋の相手はドイツ人の青年のようだった。簡単に挨拶を済ませ、さっそくシャ ワーを浴びることにした。その後は、ノートを書いたりしていたが、そのうち寝てし まった。しばらくして、気がつくと、部屋はまた人の気配がする。日本人の旅行者で あった。少し、喋ったりしていたが、また寝てしまって、今度は気がつくともう消灯 されていた。

 ヴュルツブルクでの朝は、教会の鐘の音で目がさめた。まだ、外は暗いのに、けた たましい音である。相部屋のドイツ人たちはもうどこかへ出かけてしまったようだ。 同室の日本人と一緒に朝食を取ったが、取り立てて変わったことがない。なんか退屈 な気がした。

 朝から雨が降っていて、気分は暗いが、やはり出発しようと、荷物をまとめた。ヴ ュルツブルクには、一夜の宿を求めて途中下車しただけなので、長居は無用である。 市内へと歩いた。古い教会や多くの建築物など、どれもが中世の面影を漂わし、ユー スの背後にそびえる城塞もまさに中世の城である。この街の歴史は知らないが、きっ と多くの物語が伝わっているのであろう。もはや、それを学ぶつもりはないが、自分 の物語をこの街の情景と重ね合わせるのも楽しいものである。肌寒い雨の降る中、マ イン川に沿って歩いたが、夏ならきっと素敵な散策が出来るだろうが、その反面、自 分のイマジネーションの世界に遊ぶことはできまい。

 スーパーマーケットで食料品を買い込み、駅へと歩いた。14時08分、ヴュルツブル ク発。乗車後さっそく検札があった。ヨーロッパ大陸の鉄道には、多くの場合、ホー ムに改札がないかわりに、必ず車掌が検札にまわってくるのである。検札では列車番 号などが入ったハンコを切符に押し、それが日本でいうところの下車印のかわりとな っているのである。私が購入したフランクフルト発ウィーン行きの切符には、これで 3つ目の印が押されたことになる。

 車内では、ヴュルツブルクのスーパーで購入したサラダなどを食べたりした。しめ て、3マルク程(約二百円強)である。


【ニュルンベルク 2月12日〜14日】
 15時10分、ニュルンベルク着。駅前には、口髭をたくわえた男たちがたむろしてい て、少し不気味な感じがする。西ドイツには、トルコからの出稼ぎ労働者が多く、社 会問題となっているが、ナチス時代の教訓もあり、外国人の人権問題に配慮するよう になっているという。しかし、トルコを旅したこともある私にとっても、駅前にたむ ろするトルコ人たちは、不気味に思える。いわんや、一般の保守的なドイツ人にとっ ては、なおさらのことで、排外主義の目が膨らみ始めているのである。経済問題や習 俗の違いをはじめ、異質なものとの摩擦は、異質なものへの寛容を理念とする社会の 建前を大きく揺さぶって行くのではないかと思えた。近代社会が打ち立てた理念と社 会の現実とのギャップは、理念そのものを根底から覆す力を持つであろう。

 駅を出て、旧市街地へ。丘の上にある古城のユースホステルを目指した。ニュルン ベルクは、ヴュルツブルクよりも都会的な感じであるが、やはり中世の雰囲気の漂う 田舎町である。ドイツの場合も日本と同様に第二次世界大戦でアメリカ軍の爆撃など によって、多くの街が破壊されたが、昔風に再建されてた所も多い。それ故、見かけ は中世の建築であっても、まだ出来て間がないということもあるのである。

 午後四時頃、ユースに到着。外見は古城の雰囲気をそのまま残しているが、内部は 近代的に改装されている。チェックインを済ませ、部屋へ。シーズンオフなので、客 は少ないようだ。イギリス人の青年との相部屋であった。

 シャワーを浴びたり、散歩に出たりしていたが、夜になり部屋に戻ると、さっきの イギリス人の青年が、携帯用のガスバーナーを使ってお湯を沸かしている。ユースの 設備を使って自炊する人は多いが、自分でガスバーナーを部屋に持ち込み、自炊して いる人を見たのは初めてである。ユースホステルはだいたい禁止事項が多いが、ドイ ツは特にその運用が厳格である。寝室での火気の使用も当然禁止されているのであろ うが、そのイギリス人はお構い無しである。ユースの人には内緒にしてくれと、紅茶 を勧めてくれるので、口止め料として頂戴することにした。

 お茶を飲みながら、どちらともなく雑談を始めたが、放浪者の風格を備えたその青 年に、私は興味を抱いた。彼は26歳のイギリス人で、今回はフルートを奏でながら、 もう半年近く各地を旅しているという。ビートルズのジョンレノンと、インドのガン ジー首相とを併せたような風貌に違わず、やはり彼は求道の放浪者であった。定職に ついているわけでもなく、また学校にいっているわけでもない。しばらく仕事をして は、長期に渡って各地を放浪してきたという。今回はフルートを奏でて、ストリート ミュージシャンの真似事もやっているので、かなり長期の旅になりそうだといってい た。フルートはまだ始めて間がないそうで、そんなに上手くないが、ストリートミュ ージシャンとしては、通用するようだ。今回の旅の間に、フルートとエスペラント語 をマスターしたいという。アメリカの経済力のおかげで、英語が世界中に通用するよ うになったが、公平を期すためには人々はエスペラント語を学ばねばならないという のが、彼の持論のようだ。

 経済力や政治力、軍事力といった、「力」を持った国家の言語が、世界の共通語で あると考えるのは、まさに力の均衡の上に築かれた砂上の楼閣としての平和と同じで あろう。その問題を解決しようと考え出されたのが、エスペラント語であるが、それ は世界国家の幻想と同じく私には近代社会の夢幻に過ぎないように思えてならない。 力によらない真の平和というものがあって欲しいとは思うが、近年は特にその実現を 唱える理念の虚構性が目について仕方がないのである。また、それ以上に、理想の実 現を唱う理念の暴力性、狂信性の恐さが目につき始めたのでもある。

 といったことを考えたりしたが、彼との談義は、尽きることがなかった。それはと もかく、放浪者や求道者といった俗世界から遊離した所に身をおこうとしている人々 と話すことほど楽しいことはない。日常の俗物があふれる世界にうんざりし、俗物た ちと波長が合わず、苦しい思いをしているのは私だけではないのである。

 翌朝は、一人ユースの食堂で朝食をとった。黒パンとハム・チーズが取り放題であ る。紅茶も二杯飲んだ。部屋に戻ると、昨夜の男も起きていて、またガスバーナーで、 お湯を沸かしていた。朝食の準備という。このユースも朝食込みで一泊17マルクであ ったが、交渉次第では朝食代を返してくれるのかもしれない。

 もう一泊することにしたので、ゆっくりと街をほっつき歩くことにした。駅近くの 城壁沿いの道を歩いていると、少し雰囲気の変わった一角があった。城壁の内側に沿 って、他の地区と同じように重厚な石造りの建物が並んでいるのであるが、普通に人 が住んでいるようでもなく、また、オフィスや商店とも異なる。そんなに目立つわけ でもないが、建物の各窓ごとに外をうかがうようにしている女性の姿が目につく。そ の数は、各窓ごとなので、かなりにのぼり、通りに面したドアには、もたれかける様 にして、立っている女性もいる。堅気の衆とはどこか異なる雰囲気があるだけでなく、 呼び込みがあったりもする。派手なネオンなどはないが、ドイツのいたるところによ くある娼婦街のようである。聞くところによれば、こちらの方も外国からの出稼ぎ娼 婦が多いという。そういえば、南欧系の顔立ちをしたのが、多いようだ。

 市内に戻ると、祭りがあるそうで人通りが多かった。そんな中、商店街の路上の片 隅でフルートを奏でるストリートミュージシャンが目についた。ユースで相部屋のあ の英国人のようだ。少しうら寂しい音色の曲が、肌寒い風にのって聞こえてきた。上 手いとはいえない演奏であるが、どことなく人の心を打つところがある。私は近くに よって、声をかけたい衝動にかられたが、彼の孤独を妨げまいと、道を変えた。

続きを読む


[続欧州旅日誌の目次]

[namaste-net目次ホームページ]

  [旅人のページ]

[散人日記館]


***** namaste-net zoushu2.htm Ver0.11 (1997.3.1) *****
Copyright (C) 1997 by namaste-net. ALL RIGHTS RESERVED.