格安旅行術

バックパッカーのための旅のFAQ

〜社会に背を向ける放浪者及び個人旅行者のための非・常識的な旅行術〜


★総合★

[旅に出るに際して、何かしておくことや、必要となるものはあるでしょうか?]

[費用はどれくらい準備した方がよいでしょうか?]

[格安航空券はどこで手に入れたらよいでしょうか?]

[様々な旅情報はどこから得たらよいでしょうか?]

[ビザはどこで取得しましたか?]

[どうしたら旅の資金はたまるでしょうか?]
(New! 97/10/20)


★持ち物★

[持ち物及び不要品リスト]
 (Update! 97/11/15)

 [何を持って行くとよいでしょうか?]

 [バックパックは必要でしょうか?]

[トラベラーズチェックは便利でしょうか? 両替に便利な通貨は何でしょうか?]

[国際学生証は便利ですか?]


★移動手段について★

[移動手段は何がよいでしょうか?]

[パス類(ユーレールパスやアメリパスなど)は必要でしょうか?]

[1等車、2等車はどちらがよいでしょうか?]


★宿泊★

[宿泊施設にはどのようなものがあるでしょうか?]

[YHとは何でしょうか? YHと一般のドミトリーの違いは何でしょうか?]

[YHの会員になった方が得でしょうか?]

[野宿はいかがなものでしょうか?]


★安全対策★

[旅行保険には入った方がよいでしょうか?]

[盗難・詐欺・病気・事故対策]

[裏町事情・ドラッグ類]


★関連ページ★

 [ネパール旅のQ&A]


今回、久々に欧州に出かけたこともありまして、 かつて、某YH協会にてボランティアでトラベルアドバイザーをしていた時のことを思い出して、 質問をまとめてみました。

バックパッカー、個人旅行者、格安旅行者と申しましても、 人それぞれに旅行のスタイルがあるかと存じますが、 私の場合は、珍なるもの、美なるもの、快なるものを求めた あくまでも物見遊山的な要素を含んだ旅です。 このFAQにおいては、そのためには、いかなる工夫をすれば、 より珍なるもの、より美なるもの、より快なるものに、 より多く、より高度に接することが出来るのかという点に関心が向けられています。

いかに少ない労力とコストで、より多くのものをえることが出来るのか?、 最終的に目指すものは異なっているものの、 どこか、この現代社会が追い求めていることと一見同じ様な課題ではあります。 ここで注意しなければならないのは、 それは、会社や社会、国家のためになされるものではなく、 あくまでも自分の旅のためになされる営みであるという点なのです。 人類未踏への初挑戦、誰もがなしえないような困難の克服、努力や勤勉といったものからは無縁な、 あくまでも粋人の求める趣味としての、 高度でかつ繊細な個的な世界のためになされるものなのです。 そしてそれは、既視感をともなうような日常の風景への旅であったり、 それとも、美・醜や快・不快の感情を超越した一なるものへの旅へと つながる側面を持っているのです。

なお、当FAQにおいて記載した回答は、あくまでも私(散人)の私的な見解です。 私が体験した出来事や私が感じた不平不満も、 あくまでも私的なものであり、一回限りの出来事である可能性を含みますが、 それでいて、おそらくは、誰もがよく似た体験をするだろうと思われるものを選んでいます。 それゆえ、それは、時間と空間を異にして、いつでもどこでも、誰もが感じたり、経験しうる可能性があるもので、 決して特定の人物・団体に対する毀誉褒貶ではありません。 例えば、私がインドのぼったくりリキシャーに遭遇したと書いたとしても、 それは、ニューヨークのタクシーであっても、大阪のタクシーであっても同じようなことが起こりうる可能性があるのであり、 決して、インドのリキシャーマンに対する誹謗中傷なのではなく、 あくまでも、個別的な事例から、一般的な注意事項を導き出すためのものなのです。 また、習慣や法体系は、国や地域によって大きく異なりますし、 治安状態も刻々と変化しています。 当ページは、「非・常識的な旅行術」とサブタイトルを付けていますように、 一般的なガイドブックや体験記とは異なる視点でもって書いていますので、 ある意味では、極端な体験談として「味わって」頂ければ幸いですし、 日常的思考、常識的な思考を省察する素材として活用頂ければ幸いです。

ご意見やご感想の他、もし同様のページをお作りの方がございましたら、 お気軽にメールにて連絡頂ければ幸いです。その他質問なども大歓迎です。


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[namaste-netホームページ]



大空の下の遠い丘陵……これも「ある」。
存在はどこに存立しているのか? 
いつ、誰にそれは開明されるのか?

景色をめでる旅人にか? 
日ごとその丘陵から収穫し、そこで働いている農夫にか? 
天気予報をしようとしている気象学者にか? 
このうち誰が存在をとらえているのか? 
みんながとらえているし、また誰もがとらえていない。

それとも、今言ったような人々が大空の下の丘陵においてとらえているもの、
それは、それぞれの様々な有様の中の一つに過ぎず、
丘陵が丘陵として「ある」とおりの丘陵そのものでもなく、
丘陵の本来の存在がそこで存立しているような丘陵そのものでもないのであろうか? 
そうだとしたら、一体誰がそれをとらえるというのか?

それとも、様々な有様の背景に、それ自体においてあるようなものを問うということは、
一般に無意味なことであり、存在の意味にそむくのであろうか? 
そうだとすれば、存在は様々な有様の中に安らっているのか?…… 
(Heidegger)


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